臨床心理士(BC州公認クリニカル・サイコロジスト)、医学博士
ウィンザー原田直子先生
1947年愛知県生まれ。1969年南山大学卒業後、東京医科歯科大学医学部で精神医学の研究で医学博士号取得。20年以上にわたって、臨床心理学、精神医学、神経生理学の臨床、研究を行う一方、湘南総合病院、愛知県の教育委員会など多方面でカウンセリングやワークショップも行う。2002年にバンクーバーに移民。同年、ロブソンストリートにバンクーバーを拠点とする日本人BC州公認クリ二カルカウンセラーとして初めてクリニックを開業。2009年、クリニックを海沿いの静かなフォールスクリークに移転。カナダ人、日本人双方にカウンセリングを行い、常に新しい治療法を研究している。
心理学の道に進むこと-自分の尊厳は妥協できない
始まりは10歳の時。学校でのいじめが原因だった。まだ小学生、学術的に「心理学」という言葉自体を理解していたわけではなかったが、」「どうして人は人を妬むのだろうか」「全ての人がハッピーになれないのはなぜなのだろう?」などと考えるようになったことが心理学の道に進むきっかけとなった。幼くして早くも才能の芽生えを兆し、まさに栴檀(せんだん)は双葉より芳し、と言える典型だろう。
当時、女性なら、大学は国文科か英文科を卒業、見合いをして結婚ーーという道が理想とされた時代。そのような時代だったからこそ、「そのような生き方はしたくない」と、自分の勉強したい分野があるのならばその道に進もうと、大学の心理学科に進んだ。卒業後、慈恵会医科大学病院や湘南総合病院など様々な施設で臨床を行い、1980年に東京医科歯科大学に更なる研究と経験を積むため入学。病院の臨床と掛け持ちしながらも博士号を取得した。同大学では医師が博士号を取得することはあっても心理学科から医学博士号を取得したのは原田先生が初めての快挙だった。
週のうち、3日間は大学で研究、3日間は病院で臨床という生活を繰り返した。時には朝まで大学で研究に全身全霊で打ち込み、そこから病院へ向かうことも度重なった。なかなか期待するようにはリサーチの結果が出ず、疲労とストレスで前に進むことができないと感じたことも度々で、挫折感も味わった。しかし、いつも研究仲間や教授たちが温かく励ましてくれた。「一生懸命、少しでも前に進んでいれば必ず助けてくれる人が現れる」。徳、弧(こ)ならず、必ず隣あり、だった。
「自分自身の尊厳を大切にしたい、それは妥協できないもの」-心に響いた。心理学を究めることは原田先生にとって「人生の支えだった」。もしこの進みたい道がなかったら他の色々なしがらみに「巻き込まれていた」と振り返る。原田先生はこうして心理学という自分の求める世界に踏み込んだのだ。「なりたい自分」になるために妥協を排除し、初志貫徹に邁進したのだった。
博士号取得後も病院では心に不安を持つクライアント、学校などの教育機関では不登校の子どもたちや保護者に精力的にカウンセリングを行う一方、アメリカ、カナダなど海外へも常に新しい治療法の研究、ワークショップへ参加するために訪問した。
ガラスの天井を越えて
そして、その訪問がきっかけとなり、2002年、バンクーバーに移民を決断。それは、海外での新しい治療法、Applied Kinesiology(筋反射テスト)や、クライアントの意識ではなくそれを超えた潜在意識に問いかけてゆく心理療法など、言葉を超えた、日本では承認されにくいセラピーをもっと実践したいとの思いからだった。原田先生は当時、研究し続けていた統合失調症などの分野で、「病気の研究で人は健康になれるのだろうか」、と疑問を内包していたところだった。
海外に拠点を移す、住むということに関しては実際に決まるまでは実感もなかったが、日本の中だけでは限界を感じていたのは事実。ある女子大にも勤めたことがあるが、「地位や名を上げていくために周りに迎合してゆく研究はしたくない」、「女性にはガラスの天井がある」との思いを抱き続け、それは飽和点に達してもいた。
移民の手続きは驚くほどスムーズに進んだ。東京医科歯科大学の博士号はそのままカナダでのPh.D. (博士号) と同等と位置づけられたため、専門家としてビザは直ぐに承認され、クリニックも移民後数カ月で開業に至った。
ビザなど手続きを依頼していた弁護士が「バン クーバーでも多くの日本人が先生の力を必要としている」と、最初の出会いからずっと勇気づけてくれていた通り、バンクーバーでは初めての日本人カウンセラーに多くの日本人クライアントが強い期待を寄せ、相談に訪れた。クライアントは日本人7割、カナダ人が3割。BC州公認クリニカルカウンセラーである原田先生の治療法や情報はカウンセラーを探すサイトBCACC(BC Association Clinical Counselor)に掲載されているため、日本人以外も足を運ぶ。日本でもほとんど英語で論文の執筆、発表をしていたため、特に大きな言葉の障壁はなかった。
診断ではなく、原因を探す
Shift(シフト)する-「日本の伝統的な心理療法をそのまま日本で研究していては、新しい自分を開いていくことは難しい。場所を変えることで自分を変えることもできるのではないか」。意識で考え、言葉での会話の終始する従来のカウンセリングの方法だけではなく、海外ではカウンセリングの技法も多種多様だ。原田さんはApplied Kinesiology (筋反射テスト)を用いて、身体のアンバランスな状態を見つけ、さらには傷ついた自分の子供時代や過去に戻ってゆく「Body Talk」(ボディートーク)の技法、エネルギー・ワークの「Quantum Touch」(クオンタム・タッチ)、自分の過去生に戻ってゆく「前世療法」など常に新しい治療法を研究、臨床している。
ロブソンストリートに開業していたときはワーキングホリデービザの学生、若者がクライアントとして多かったが、人々の抱える悩み、問題は移転してからも変らない。日本は「察する文化なので、カナダ人の職場などで相手が困っていたらそれを察して頼まれる前に行動してしまい、その結果自分の立場が不利になることもあって、それがストレスにつながりやすい」という。「察する文化」と「言葉で主張しあう文化」 の狭間で、ともすればアイデンティティーを見失いがちになる。夫婦関係や仕事場での人間関係から「人生の生きる意味」に悩むなど問題も普遍性を持つようになった。結果としてうつ病、不安障害、心的外傷後ストレス障害に陥ることがあるが、あくまでも病気の診断や症状が大事なのではなく、また従来のカウンセリングの方法のように、そこに至った状況を治療者が言葉で説明・説得するのでもない。本人自身が辿り着いて、心の深いレベル(潜在意識)で理解することが不可欠で、それが回復のプロセスである。
原田先生はPh. D. (医学博士号)を持つカウンセラーだが、私たちの周りには実に様々なセラピーが存在する。多くの人々は、新しく、特に資格免許も必要のないスピリチュアルなセラピー、ヒーラーなどに対しては不安に思ってしまうが、逆に原田先生は、新しいセラピーや研究を見つけると好奇心に駆られ、まずは「自分の目で」見に行くという実証派だ。「いつも新しいものが大好き、ルーティーンだけだと退屈」とまるで子どものような笑顔を見せる。東洋と西洋の医学を一つに結ぶことが、21世紀の人間の心身の健康にとって重要な鍵となるという「統合医療」(ホリスティック・ワーク)への研究と成果はこの「好奇心」が後押ししているに違いない。
女性としてではなく、人間として如何に生きるのか
「恋愛や結婚が先ではなく、生き方が先」
2006年にカナダ人のマイケルさんと結婚。これまでの人生、やはり何度も両親からお見合いを勧められたりしたことがあったが、日本で研究に集中していた生活ではそのような余裕も関心もなかった。しかし、運命的な出会いは突然、訪れた。マイケルさんとはニューヨークJFK空港のカウンターで荷物を巡って会話をしただけの相手だったが、バンクーバー行きの帰り便でも再会、またまた手荷物受け取りでも一緒になったことで二人は改めて出会い、距離を急速に縮めていった。その出会いから数ヵ月後に婚約。同年に結婚に至った。
カナダ人だが仏教徒だったマイケルさん。大学では生物化学の研究者で、天文学が趣味という博識でもある。分野は違えど、お互いにアカデミックに刺激しあい、新しい研究についても話し合い、支えあうパートナーだ。
一般に女性として恋愛とか、結婚とかが大事ということが言われる。が、原田先生は、「女性である前に人間としてどうやって生きていくかが本当に大切なこと。人間として自分を磨いてゆくことで自分に合うパートナーは必ず見つかるのでは。」と説く。「恋愛や結婚が先ではなく、生き方が先」なのだ。脚下照顧。自分を確立していれば揺らぐこともなく、妥協することもなく、それよりもそれを知った上で自分を愛してくれる相手であれば、相手に迎合して「自分ではない自分」を求めて、自分を見失ってしまうこともないのだろう。
原田先生は「心を扱う仕事」を選んだ。それは魂の呼びかけでもあり、天職となった。それが彼女の生き方だったのだ。
「継続は力なり」-「やめてしまったらゼロ。直感的に確信を持って始めたことも途中でうまく行かなくなる時がある、その時は少し休憩しながら、また続け、また続ける。周りの雑音、ネガティブな自分の独り言に左右されずに続ける。自己実現に向けて、切磋琢磨し、大きな一歩でなくても半歩づつでも続けていけば必ず、絶対に支えてくれる人、考えに共鳴する人、勇気やチャンスを与えてくれる人が現れる。」 繰り返すが、徳弧ならず。
原田先生は、ほぼ毎朝、座禅をするという。独り、静かに。部屋の掃除をするように「頭の中、心を掃除する」。「偏見なしに人を見るため」に課している極めて大切な時間である。