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エリア特集2013-02-25

ピンクのシャツ着ていじめをなくそう!
カナダ発、いじめストップ!運動「ピンクシャツデー」

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カナダのノーバスコシア州の勇気ある高校生2人がいじめを反対するためにとった行動はカナダ全国を駆け抜け、今では世界75カ国に広がっている。「いじめ」を苦にした自殺ははどの国にも存在する。たとえ自由で寛大といわれるカナダでも。--そのいじめ防止運動「ピンクシャツデー」を紹介したい。 

「詩人会議」2012年3月号寄稿文より 修正・加筆:バンクーバー経済新聞編集部

いじめ反対を訴える「ピンクシャツデー」―カナダから

 オンライン上でカナダ、バンクーバーの文化イベントとビジネスニュースを発信するバンクーバー経済新聞を始めて半年が経過した頃だっただろうか、長年、情報を発信し続けている地元誌・新聞の情報網には駆け出しのオンラインメディアである私たちが到底太刀打ちできるものではなく、私たちは一つひとつ無理なく情報を発信し続けていくこと、私たちが日本の方に紹介したいニュース、日本ではまだ知られていないことを地道に届けることが大事なのだと毎日、情報を吟味し、模索しているところだった。そんな時、中学生になる娘が彼女の通う学校でピンクのティーシャツを買うからお金を頂戴と切り出してきた。いじめ防止のプロジェクト「ピンクシャツデー」のためだと。

「ピンクシャツデー」とは

 西海岸に位置するブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーから約4.500キロ離れた東海岸のノーバースコシア州の高校からこの運動「ピンクシャツデー」は始まった。

 下級生の男子学生が登校初日にピンクのポロシャツを学校に着てきたことがきっかけで「ホモ」とからかわれ、暴力を受けるなどのいじめを受けていた。それを知った男子学生二人はその夜、近くのディスカウントストアでピンク色のシャツを50着ほど購入し、クラスメートにこのシャツを着てくれるようにとE―メイルなどで連絡した。翌朝シャツを持って学校に行ったところ、そのメッセージは夜中に直接連絡をしなかった生徒にまでも伝えられ、校内はピンクのシャツ、ピンクを身に着けた生徒で溢れ、学校中がピンク色に染まった。それ以来、この生徒へのいじめを聞くことはなかった。直接説き伏せることもなく、皆の力でいじめを止めさせたのだった。

 この話題はラジオ局を中心に、カナダ全土にまたたく間に届けられた。このエピソードがきっかけで翌年の2008年2月27日にBC州知事は2月の最終水曜日を「ピンクシャツデー」にすると宣言。バンクーバー市役所にはピンクの旗が掲げられ、市長もピンクのシャツを着るなどキャンペーンの支持を表明した。それから現在までに約75カ国が同キャンペーンを実施するなど大きな反響を呼び着実に認知を深めている。「何がいじめなのか」といじめの定義を改めて考え、「傍観者になること」の危険性を考えるきっかけを人々に与え続けている。

いじめはカナダにも存在する

 娘から「ピンクシャツデー」の存在を知らされた時、ここカナダでもいじめは存在するのだと改めて知った。バンクーバー近郊でもいじめが原因での飛び降り、首吊り自殺などが報告されている。ブリティッシュ・コロンビア大学が8年生から10年生まで490人の生徒を対象に行った調査では、64%がいじめられたことがある、12%が日常的にいじめを受けている、13%が日常的に誰かをいじめていると答えている。更に、72%が少なくとも一週間に一度はいじめを目撃している、64%がいじめは学校生活の中で日常的な風景と考えている、20%から50%がいじめは良いこと(人を強くする、問題解決の良い方法など)と答える結果が出た。そして、40%がいじめを止めるために介入したと答えた。毎日、学校に通い、いじめに気付かない生徒は少ないだろう。それを告げ口などしたら今度は自分も危険にさらすことになると知らないふりをする生徒が多い中でこの40%という数字は希望の光なのではないか。

 いじめをしていなくても傍観者であることはいじめる者を認めていることになる。いじめられる者は傍観者も見ている。「このいじめは皆から認められるところで行われている」のだと。生徒も、教師も、学校も親も誰も気付こうとしない、気付いても行動に移さないことがいじめを助長させている。そして学校生活で培った、いじめるという一つの「技術」は社会に出てからも大いに発揮されてしまう。ブリティッッシュコロンビア州では6年生から9年生までにいじめっ子と確認された子どもの60%が24歳までになんらかの犯罪歴を持つという調査結果がある。いじめる事をずっと「認可」されて学校生活を過ごした子どもたちはこれまで自分のルールで人をいじめ、認められてきたのだから、当然、社会にでてからも、それを変えることはしないのだろう。「いじめを見守る」ということは学校生活、教育現場に留まらず、社会へも暗い影を落とすことに繋がるのだ。

 大人となった今、多感な年頃の子どもを理解することは難しい。「こんなことで」「そんなことで」と放っておくこともある。時には自分勝手でわがままで気分屋である10代の子どもたちだが、いじめが原因で命を絶った子どもたちは往々にして親たちに「大丈夫。自分でなんとかするから」、「今度はがんばって学校に行ってみるね」と前向きな最後の言葉を残している。どれだけの間、苦しみに耐えてきたのだろうか。死を決めた時にやっと苦痛から開放され、もう悩むこともないからと最後の言葉を残したのだろうか。

言葉、暴力、そしてサイバーブリングと「いじめ」は時代に合わせ巧妙化する

 いじめは暴力というように目に見えるものもあるが、言葉での中傷という目に見えないいじめ、存在を認めない、無視するといういじめなど形を変えてターゲットを蝕む。いじめの定義に関してもどこまでがいじめなのか、相手の感受性が強いだけではないのか、と明らかに悪意があったとしてもいじられる側の責任とする声もよく聞く。更に、近年では学校だけではなく、サイバーブリングというネット上での中傷も後を絶たない。いじめる側はどのような方法をとってでも時代に合わせ、巧妙に相手をいじめる術を考える。どのような形や場所であっても受ける側の痛みはこれまでと変わりない苦痛の連続なのである。それでもやはり、ネット上にも傍観者・見物人が存在する。親や教師より、いじめを目撃したときの同級生の介入がいじめを即座に止める効果があるというカナダのリサーチがある。「ピンクシャツデー」はまさにそれを証明している。一人で立ち向かうことができなくても友人らが、学校が、コミュニティーが、社会が、国がどのようないじめも許さないというスタンスを示すことのきっかけとなった。具体的にどのように動けばいいのか先の勇気ある男子学生二人に教えられたのだった。学校の現場で起こるいじめに気付くことは親にとって難しい。「恥ずかしい」、「心配をかけたくない」、「事を大げさにしたくない」と子どもが必死に隠すこともあるからだ。それでも、あるバンクーバーのコミュニティースクールの校長はいじめについて自身が書いた本の中で「何か子どもが少しでもおかしいなと思ったら、まずあなたの勘は当たっています」と親に警鐘を鳴らしている。

 声を大にしていじめに立ち向かうことができないとしても自分のスタンスをどんなことであれ示すことは必要であると考える。「ピンクシャツデー」ではピンクのシャツを着ることでいじめを認めないという意思を伝えることができるシンプルかつ効果的なアクションだ。ピンクのシャツがなかったらピンクのアクセサリーでもリボンをつけるのでも何でもいい。これが私のいじめに対するスタンダードというようにバンクーバーの人々はピンクを身に着ける。学校だけでなく、職場であったとしても。学校ではいじめと呼ばれるものは大人になるとハラスメントという言葉に代わり、大人になったからといって終わるものではない。継続して、訴えていかなければならない運動であり、同州の労働組合も「ピンクシャツデー」を支持、キャンペーンに参加している。簡単に人を傷つけ、死に追い込むことができるこのような行為が犯罪として認められていないということに憤りを覚える。

 結局のところ、人には生きる権利がある。なんとしてでも生きていくことが必要なのである。希望も生きがいも好きなものも何もないのに「なんのために生きているのか」「どうして生きなくてはいけないのか」と聞かれることがある。そんな時、私は生きがいなんて、夢なんて、希望なんてなくても、見えなくても行き続けることが責任だからと答えている。この世に生まれた責任を全うする。「生き抜くために生きる」のだ。生きるということには悲しみや絶望も伴うが、生きてさえいれば喜びや希望を見出すことができる。生きていることだけで家族や誰かを幸せにしてもいる。

 「ピンクシャツデー」を通していじめに悩み、生きることをあきらめしまいそうになっている人々にもう一度、「生きる力」を与えることができればと願っている。

 「未来を担う子どもたちに」と政治家は数々のマニフェストを提唱している。未来を担う子どもたちへと訴えるのであれば、日本も「ピンクシャツデー」の普及に努め、今一度、教育現場と自殺者が出たときのニュースだけでしか取り扱われることのない「いじめ」という問題に対し、常に向き合う社会となることを望みます。


「詩人会議」2012年3月号寄稿文より 

記者:シェア美緒 編集:バンクーバー経済新聞編集部

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