青木辰子選手
「(いつも笑顔の理由について)好きなことをやっているから。スキーが好きだからすべてのことに生きがいを感じる。ソチへも行きたい」
谷口彰選手
「悔いがないことはないが、自分らしい滑りはできた。(同パラリンピックを通じて)家族や支えてくれている人、応援してくれている人の『愛』を感じることができた大会だった」
森井大輝選手
「(同パラリンピックで)世界で最速といわれるチームであることを少しは証明できたかも。チェアスキーをメジャーなスポーツにしたい」
狩野亮選手
「(カナダのバリアフリーについて)車いすでもほとんどどこへでも行けて案内図もしっかりしていて暮らしていて楽だった。(今後について)4年後のソチに向けてすぐに取り組んでいきたい」
新田佳浩選手 「今まで支えてくれた多くの人が喜んでくれたことが一番良かった。パラリンピックの波を次のロンドンの選手に伝えたい。パラリンピックという最高の舞台をより多くの人に広めていくことが選手の使命」
太田渉子選手
「私たちの活躍で若い人や子どもが夢に向かって挑戦してくれたらうれしい」
中島洋治選手
「(夢は)次回のパラリンピック出場。パラリンピックでは多くのご声援をいただきありがとうございました。とても楽しく、あっという間の大会でした。カナダバンクーバーで活躍されている皆様のご検討をお祈りしています」
比田井隆選手
「(今後の)車いすカーリングの拡張を期待する。(夢は)もっと勉強して良いアスリートになること」
市川勝男選手
「日本ではまだカーリングがマイナー競技なので普及にバンクーバーの方々にも協力してもらえれば。(夢は)楽しい老後」
斉藤あや子選手
「カーリングは始まったばかりなので、これからの車いすカーリングにも力をいれていただきたいと思います。色々な面で大変、一番は資金の問題です。(夢は夏冬どちらでも)もう一度パラに出ること」
小川亜希選手
「(夢は)家族、友人、職場、応援してくれる皆の自慢になる選手になること。常に目標を持って前向きに生きること。皆にまた応援してもらえるような選手にたくさん練習してなりたいと思います。バンクーバー最高でした」
丸尾智彦選手(背番号29)
「(唯一の関西在住で)毎週末、練習に長野まで通っている。スレッジホッケーは北の国のスポーツのイメージが強いがこれを機に関西にもチームが作れれば」
遠藤隆行選手(背番号10)
「日本の多くの人に自分たちのプレーを見てもらえて気持ちを伝えることができたと実感している。小さな波を消さずに大きくすることがぼくたちに課せられた義務」
上原大祐選手(背番号32)
「こんな風になりたいなと思われるような選手であり続けたい。日本でもっとホッケーが広まってもっと強くなっていくスポーツにしていきたい」
福島忍選手(背番号21)
「障害者スポーツのことをもっと一般の方に知ってほしいです。(夢は)アイススレッジホッケーでゴールドメダルを取ること」
永瀬充選手(背番号39)
「(夢は)たくさんの障害のある子どもたちが、いつでもどこでも気軽にスポーツを楽しみパラリンピックに出ることを夢見るようになること。(試合の時は)たくさんの日本人、カナダ人の応援がありホームのように感じました。Thank you Vancouver. Merci CANADA」
石田真彦選手(背番号23)
「(夢は)日本のアイススレッジホッケーチームが金メダルを取りパラリンピックチャンピオンになること。夢(目標)をもって生きることの大切さを伝えたい」
矢口敦也選手(背番号33)
「(夢は)スレッジホッケー世界最強。バンクーバーの皆さんからのご声援とご支援には本当にパワーをいただきました。このバンクーバーで今回銀メダルを獲得できた事は自分にとってもまた皆さんにとってもかけがえの無い思い出になったと感じています。ありがとう!!バンクーバー!!!!!」
吉川守選手(背番号13)
「建築士として大工さんになる夢がバイクの事故によりとだえてしまったけれど、1回停止した心臓を復活して生かされてこのスポーツと出会って良かった。小さな子どもたちに、大人になる前に自分のしたいことや何か夢や夢中になる目標を持ち、達成することはとても良いことだと伝えたい」
三澤英司選手(背番号25)
「(競技以外の楽しみは)山登りやジムトレーニング。(夢は)家庭を持ち家を建てること」
馬島誠選手(背番号17)
「(競技以外の楽しみは)子どもたちと遊ぶこと、よく食べよく寝ること。(夢は)もう夢を語るほどの年齢ではないのですが、ホッケー・仕事・家庭とすべてうまくいければ良いです」
中村稔幸選手(背番号18)
「(夢は)障害者スポーツを広めること。ハンディーがあっても何でもできる」
伊藤仙孝選手(背番号59)
「(夢は)ホッケーでチャンピオンになること」
須藤悟選手(背番号24)
「今回の大会の様子を報道していただいたことにより、多くの方にスレッジホッケーを知ってもらうことができたと思う。日本国内でもカナダのようにスレッジの知名度が上がってほしい。(夢は)家族を持つこと」
高橋和廣選手(背番号55)
「(夢は)ジュニアのスレッジホッケーチームを作ること。アイススレッジホッケーの楽しみを伝えたい」
選手らはパラリンピックが障害者スポーツとしてだけではなく、技術性や競技性にも優れたスポーツであることを見せ付けた。4年後のソチ大会に向けて選手一人ひとりがそれぞれの思いを胸に最高のパフォーマンスを見せるため、まだ環境の整わない社会の中で厳しい練習に挑戦し続ける。そしてその先には、困難を乗り越えてきた真のアスリートだけが見せる「最高の笑顔」が待っている。